764グラムの超未熟児で生まれた長男の子育て。年子次男の子育て。障がいのある子供とない子供を通しての経験をシェアしていきます。

特別支援学校って、どんな感じ?
学校って、どぉ?

そんな話もおりまぜて。。。

764g超未熟児を産んだ私の成長

育児
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こんにちは、ともみです。

 

※記事に加筆をします。

本日は2018年4月2日。

このブログを立ち上げて、一ヶ月と少し。

最初の頃に投稿したこちらの記事に少し書き足しました。

書いた時の現状や思いに、「今」の思いを書き足しました。

ぜひ、読んでいってくださると嬉しいです。

 

はじめに

私には2人の息子がいます。

4月から高校生になる長男と、中学3年生になる次男です。

長男は、いわゆる障害児。

次男は、そんなお兄ちゃんをとても大事に思ってくれていて、お兄ちゃんに向けられる好機の目にとても傷ついてきました。

そして、一生懸命守ってくれています。

長男は、そうとは知らず(?)いつもニコニコ笑顔です。

こんなかわいい息子二人に恵まれた母である私の思いや、我が家の現状を書いてみようと思います。

 

超未熟児で生まれた長男

現在15歳の長男が生まれたのは、妊娠週数24週のとき。

40週お腹で育てないといけないところを、私の弱っちい子宮は24週しか守ってやれず。

初めて妊娠した人が読む本的な本を一生懸命読んでたんです。

そこには、

  • お散歩をしましょう
  • 体を休めましょう
  • 家事で体を動かしましょう

的なことが書かれてたんです。

私もハタチで妊娠して、なんにもわからないので、せっせとその教科書の通りに過ごしてたんです。

散歩ってどの程度なのか?と思いつつも、少ないよりちょっと疲れるくらい多い方がいいのかな?とか思って、毎日1時間近く歩いてたかな。

家事は、小さなアパートだったからそんなにハードではなかったよ。

あと、疲れたら横になってた。

 

後悔の始まりはひっそりと近く

その当時は美容専門学校行ってて、卒業間近の国家試験受験だったりもして。

学科の勉強もそこそこ頑張ったし、実地も家で立ちっぱなし練習もしたり。

学校は、必要な単位とったから体きつい日は休んでました。

国家試験も無事合格!

 

喜びもつかの間、そのわずか2ヶ月後。

便意のような、でもなんか違うような。そんな痛みが出たんです。

痛んでは止んで、痛んでは止んで。

さすがにおかしいと、病院行ったらすぐ入院。

陣痛でした。

促進剤ならぬ、反対の抑える点滴を一晩中流して。

それでも、子宮口はどんどん開く。

胎児の発育的に、普通分娩はできないということで、緊急帝王切開での出産でした。

生まれた子供は、肌の色も悪く、自発呼吸は厳しく。

すぐさまNICU(新生児集中治療室)で、保育器に入りました。

酸素チューブも入れられ、身体中にはたくさんの線が繋がれ。それをみた私は号泣でした。

ごめんなさい。ちゃんと太って元気に生んであげれなくて、ごめんなさい。

 

子供の成長が私の救いとなる

私の気持ちを知ってか知らずか、助からないかもしれないと言われていたこの子は一進一退しつつも着実に成長してくれました。

毎日母乳を搾乳して冷凍してNICUに届け。看護婦さんが解凍してチューブで少しずつ子供の胃に届ける。

半年もこの生活でした。

ようやく母子同室で過ごすことになる。ミルクがどれだけ飲めて、おしっこがどれだけ出せて、うんちもちゃんと出るのか、体重はどれだけ増えたのか。チェックが多くて。それぞれのノルマがクリアできるまで退院はできませんでした。

 

どれだけ母子同室で過ごしたでしょうか。

やっと退院しても、血中酸素濃度が低く、鼻の下に酸素チューブを貼り付けての生活でした。

 

未熟児高額療養費(だったかしら)の制度がなければ、この治療もできなかったかもしれない。かなり高額になる治療も、補助のおかげで一定の上限額の支払いだけで済みました。(それでも、生活は苦しかったんですけどね)

 

超未熟児で生まれたこの子は、保育園に入ることもできず、生活の為に私が働きに出ることもできませんでした。

その後、実家の協力をもらうべく地元に引っ越し、親の協力や自分が卒園した保育園に相談して入園させてもらったんです。

その頃には、下の子も生まれていたのでまた改めて書きたいと思います。

 

未熟児を生んだら尚更、サポートしてくれる人を素早く確保しないと、大変だと実感しました。

障がいの判定が下された時の想い

さて。

この764gという超低体重で生まれた長男ですが、その後脳性麻痺と判定が出まして。

私も旦那も、私の母親もそれ聞いてもなんの実感もわかず。

へー、そーなんだー

という具合でして。超未熟児で生まれていろんな試練も乗り越えてきて、今更そんなことで驚かないというのか、気にならなかったというか。

 

ただ、私は決めたことがありました。

障がいがあるからって、なんでもやってもらって当然という考え方をするんじゃないよ!

障がいだからって諦めるな、仕方ないと思うな、やれることはなんでもやれ!

という育て方をしよう!!

そう決めて、口すっぱく育ててきました。

これは、私の母親も同じ考え方でした。

障がいを持ったからこそ、強くたくましくなってほしいと思ったんです。

終わりに

長男は先月中学校を卒業しました。

4月からは、与論の親元を離れて奄美の施設に入り高校に通います。

たくましくなりました。

まだまだ、伸び代はあると思っています。

 

 

この子を育ててきた15年で、この子から教えてもらったことがあります。

 

どんなに大変だと感じる時も、どんなに悔しいことがあっても、最後には笑顔になれるんだよ!

 

この子の笑顔で、どれだけ救われたのだろうか。

 

この子と共に、母として成長させてもらえて幸せに思います。

 

追記

4月9日、長男の高校入学式です。

翌日10日の夕方から、長男を施設にお願いし、そこから別々の生活が始まります。

一日一日、その日が近づくにつれ、高校入学させることを後悔しています。

障がいのある子は、親元を離れて生活する機会はそうあるものじゃない、と聞いて納得はしたものの。

たった3年間離れるのを我慢すれば済むじゃない、と思ったけど。

それでも、毎日この子の笑顔に救われてきた我が家は、すでに耐えれそうにもありません。

それでも、この子の成長に必要なことなんだと思いがんばってみようと思います。

 

はー。。。

 

家族そろって3年間奄美に行けたらよかったな…