764グラムの超未熟児で生まれた長男の子育て。年子次男の子育て。障がいのある子供とない子供を通しての経験をシェアしていきます。

特別支援学校って、どんな感じ?
学校って、どぉ?

そんな話もおりまぜて。。。

年子、長男は脳性麻痺 生活が苦しかったあの頃 生き抜いてきた今

与論島
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何度か、このブログで長男の障がいにふれています。

 

私が、長男のことをブログに書くのは、同じような境遇にあるご家族にひとつの例として見てもらえたら、と思ったから。

 

 

長男は妊娠24週と3日で生まれました。

出生児の身長は29cm。

体重764g。

体はまだまだ未熟で、皮膚も薄くて透けている。

 

絶望的な中、少しずつ着実に大きくなってくれました。

 

そんな長男に「脳性麻痺」と診断がおりたのは、生後6ヶ月の検診のときでした。

 

長男誕生、生活困窮

当時、沖縄で生活していた我が家。

おむつやミルクにものすごくお金がかかる。

 

今はどうかわからないけど、当時はミルクやおむつの支援は全くなく。

今の援助の手厚さがうらやましく思います。

 

パパさんだけの給料じゃ、家賃を払ったりそのほか固定費、生活費と考えてもきつすぎる。

私も働かなければ!

 

ところが、どうでしょう?

普通の子でも、待機している状態なのに、障がいのある子を受け入れてくれるでしょうか?

看護士のいる保育園はそうそうありません。

 

ましてや、当時は車も持っていないし、徒歩しか足がない。

 

 

これじゃ、生活がきつくて働きたくても働けない。

 

今から、15年前の話です。

 

在宅の仕事?

「内職」と言われるモノでさえ、みつけられませんでした。

 

 

パパさんが、正社員の仕事と居酒屋のバイトで掛け持ちして働く日々。

パパさんの疲れが目に見えて増していく。。。。

 

 

そして、翌年には次男も生まれ。

これでまた、経済的に不安になった。

 

もう、どうしようもない。

そう思った私たちは、決心しました。

 

 

引っ越し、保育園入園 共働きになった

私たちの決心。

それは、私の地元への引っ越し。

 

実家の手を借りて、働いて子供を育てる。

 

今は亡き母のものすごい手厚いサポートのおかげで、子供たちはすくすくと育った。

 

地元、与論島に引っ越してきてしばらくは実家に居候。

そして、亡き祖父の大きな家に家族で移った。

 

自分が卒園した保育園に事情を話すと、快く受け入れてもらえた。

障がいがあることも、もちろん伝えて。

 

働いて働いて、パパさんの親の借金も完済させ、念願の自分たちの車も買った。

まぁ、中古の軽自動車だったけど。

 

そもそも、普通に生活するだけでもきついのに義親の借金まで背負うって、どんだけ不幸なんだ?と思ったよ。

 

子供たちには多少寂しい思いもさせたけど、協力してくれる環境があったからがんばって働いた。

 

 

長男小学生になるよ、問題 特別支援学校

せっかく、安定した生活でやっと幸せになった頃。

長男の進学問題。

 

地元には、当時は特別支援学級とかが十分に準備されていなかったんだ。

あっても、在籍してるだけ状態。

 

そこで勧められたのが、養護学校。

 

また、パパさんの地元沖縄へ引っ越すことになった。

 

特別支援学校に入学して、1年生の頃は自立歩行ができなかった長男。

学校で、移動のときも先生がサポートして徹底的に自立歩行を促してくれた。

 

そのおかげで、2年生にあがる頃にはすっかり歩けていた。(感謝しかない)

 

子供というのは、適応能力が高いもので。

次男も、沖縄の幼稚園に入ってすぐお友達できた。

小学校は、また学区の違うところへ引っ越したので、またお友達が変わった。

 

次男にはだいぶ我慢を強いてきた。

 

長男は学校でどんどん活発に動けるようになって、引っ越してまでこの学校に来てよかったと実感した。

 

次男は、小学校でサッカーをはじめた。

それまで長男のことばかりだったのが、次男のことばかりに変わるww

 

毎週末、練習試合で家族総出であちこちに出かけたからねww

 

そしてこの6年間、私は派遣で働いたり、臨時職員として役場で働いたり。

気になる資格を取ったり。

 

児童デイサービスでも働いた。

 

生活は、「安定」。

 

 

長男転校と、次男中学入学

小学校で通っていた特別支援学校では、長男の障がいが異なったために中学から転校した。

自立歩行も出来、活発に動けるようになったので、「分類」が変わったのだ。

 

そして、翌年には次男も中学生に。

小学校の友達と同じ区内の中学校へ入学。

 

でも、そこへの登校はわずか1ヶ月だった。。。

 

 

再び引っ越し

私の地元に再び戻ってきた。

2人とも中学生。

 

長男は特別支援学級へ。

 

2人とも、保育園の頃のお友達がたくさんいて、すぐにうちとけた。

 

とてもひょうきんな長男は、障がいがあっても交流学級のお友達と昼休みに遊んだりしていた。

 

次男は、お年頃でいつしか「シャイボーイ」になっていたw

 

ともあれ、ふたりとも学校に慣れるのが早くて母として、ものすごく救われた。

 

 

地元に戻ってきてから、パパさんはすぐに地元スーパーで準社員として勤務。

激務の割に、給料が少ないのが辛いところ。

 

私といえば、沖縄で取った美容の資格で自宅サロン。

そこそこお客さんもついていて、恵まれていた。

 

 

長男高校生、進学問題 奄美の養護学校

今年、高校生になった長男。

 

だいぶ迷った。

地元の高校に、大島養護学校の分校生として通うか、奄美に行くか。

 

本人のことを考えて、旅に出すことにした。

 

いわゆる、障がいのある子は親元を離れて生活するという機会になかなか巡り会わない。

完全なる自立が現実的に難しいのだ。

 

だから、施設に面倒を見てもらって学校生活をおくれるこの機会を使った。

 

離れて寂しいけれど、長男1人奄美に見送った。

 

はじめの1ヶ月は、毎日落ち込んでいたという長男。

今はすっかり楽しんでいるようだ。

 

子供って、すごいよね。

親が思ってるよりも、ものすごくえらいんだよ。

 

 

我が家の経済状況、長男が奄美の養護学校に進学して悪化ww

 

まず、それまでもらえていた手当がカット。

(お金の出所は一緒なのに、一緒に生活していないという理由)

 

それでいて、毎月施設と学校への納付が割と高い!

 

長期休み時の帰省では送迎が必要でそれにものすごく出費がかかる。

 

体育大会や文化祭を観に行くのも、一苦労。

 

「面会費」という名目で、与論島では今助成がある。

年6回まで、一回の上限が沖縄もしくは奄美までは2万円。

奄美より上になると、3万円。

 

全くないよりはものすごく助かる。

でも、かかる経費の半額にも満たない。

 

さぁて、稼がなくては。

 

今の我が家の経済状況、割と最悪ww

 

 

それでも、なぜか笑ってる私。

いよいよ神経がおかしくなったのかと思うよね。

 

 

今よりどん底はない だからこれからもがんばる

今は今でどん底だと思ってるかと言えば、そうでもない。

結婚して、長男がうまれたあの頃のどん底生活に比べたらね。

 

あの頃は本当に、苦しかった。

 

だから、今も辛いと思ったときはあの頃を思い出す。

そしたら、今がちっぽけに感じる。

 

あの頃、どん底を味わっていたから今が平気に感じる。

 

これから、自分で仕事を作るけど不安も期待もある。

 

大丈夫、あの頃より不幸になりようがないから。

 

だから、子供の生活の為にも、自分の為にも前を向いていくよー!!

 

 

今の楽しみは、ブログの時間、Twitterの時間、読書の時間。

クラウドソーシングもチャレンジしてみたけど、今はブログが楽しい^^

 

私のブログで、誰かの心が少しでも軽くなればいいなぁ。

 

 

「私より苦しんでる人いるじゃんww」

 

て、笑ってくださいw

そしたら、今苦しいと思ってることがどーでもよくなるから!